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2026年2月5日に急逝したブルーパンサー、重松“TAK”健氏へ向けて当社代表、“ZAK”柴﨑からの追悼文です。
去る2026年2月5日に愛媛のブルーパンサーの重松“Crazy-TAK”健氏がお亡くなりになりました。まずは亡き重松健氏の御冥福をサンダンス一同、心よりお祈り申し上げます。
1965年に愛媛県にて生まれた重松氏はアメリカのアリゾナ州にあるメカニックスクール、“MMI”に在学中の1992年、ドラッグレースに出会い、以来、その世界の第一人者として活躍してきました。1998年からはプロフューエル・クラスに参戦し、AHDRA(ハーレーのみで競われるアメリカのドラッグレース協会)で日本人として初勝利を挙げ、2002年からは最高峰のトップフューエル・クラスにステップアップ。当社代表のZAK柴崎は2004年に重松氏のトップフューエルレーシングマシンのチューニングマシンを手掛け、数年に渡ってアメリカ各地を共に転戦してきました。2007年にはフル参戦したAHDRAで年間チャンピオン争いを展開し、2017年にはジョージア州のバルドスタレースウェイでハーレー史上最速となる6秒021を樹立した重松健氏は、文字どおりトップドラッグレーサーであり、ヒーローでした。
そんな生前の重松健氏は当社代表のZAK柴崎を「アニキ」と呼び、柴崎は重松氏を「タケシ」と呼ぶ間柄であり、ドラッグパイロットとエンジニア、メカニックという関係を超え、まさに兄弟分でした。それは多くの人が周知していたと思います。
ここからは当社代表の柴﨑“ZAK”武彦から重松“Crazy-TAK”健氏へ向けた追悼文となります。皆さま、ご一読くださると幸いです。
タケシへ
まずは2026年2月5日にお亡くなりになった重松“Crazy-TAK”健氏の御冥福を心よりお祈り申し上げます。突然の訃報に接し、謹んで哀悼の意を表します。
クレイジーTAKこと、今は亡き重松健氏と私、ZAK柴崎は文字どおり兄弟分といえる関係でした。TAKは私を「アニキ」と呼び、ZAKこと私は彼を「タケシ」と呼ぶ間柄でした。
私、ZAK柴崎は2004年から5年間ほどアメリカのトップフューエルクラスのドラッグレースにTAKのメカニック&チューナーとして参戦協力していました。
その中で一度、当時の世界記録を叩き出したことは今でも良き思い出です。
アメリカそのものの伝統といえるハーレーのドラッグレースシーンでは、やはり日本人は異端の存在でした。しかしながらTAKの度胸ある走りは、アメリカの強者たちをも感動させる雄姿を見せつけていたのです。
この2月5日は、その歴史が幕を閉じ、彼が伝説となった記念日でもあります。
だからこの世に残った我々は下を向きません。
アイツらしくフルスロットルで天国まで一気にダッシュして行った! と想い、皆で笑顔で送ってやりましょう。
彼とのたくさんの思い出と深い友情に心より感謝し、改めて御冥福を心よりひたすら祈ります。
to クレイジー “TAK” タケシへ
from アニキ “ZAK”柴﨑より
合掌






