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米国ドラッグレース界の重鎮、ドン・ジョンソン氏がご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

2022年1月15日に米国ドラッグレース界の重鎮、Donald “DJ” Johnson氏がご逝去されました。DJ氏のご訃報に接し、心から哀悼の意を捧げます。

以前、2001年に私、“ZAK”柴﨑は自らの技術を追求する為、アメリカのドラッグレース界の伝説的な人物であるジム・マックルア氏のメカニックとして渡米する予定があったのですが、その直前にマックルア氏がフロリダのレースでエンジン爆発の事故に巻き込まれ、計画が頓挫してしまったという経験があります。

その後、2004年にTPPレーシングの重松健氏(以下タケシ)のサポートで、エンジンチューニングやクルーとして3年越しでドラッグレースの世界に携わることが出来たのですが、そのチームオーナーがドン・ジョンソン氏でした。
通称で“DJ”と呼ばれる彼とは、じつは何か不思議な縁を感じています。

1985年8月のスタージス……私が初めて渡米した時に訪れた世界最大のバイクラリー、そのドラッグレース場で出会った“白熊”のような白髪の大男がDJ氏でした。正直、当時の記憶は長らく忘れてしまっていたのですが、私が業界の中で弟的に感じている(TPPの)タケシのチームで再び出会ったのがDJ氏でした。
その時、「どこかで会ったことがあるような……」と思い起こし、古いアルバムをめくってみるとDJ氏と握手している自分の姿がありました。その’85年の写真の中と2004年でも、まったく姿が変わらないDJ氏……アメリカのドラッグレースの世界でも、DJ氏が昔から変わらない風体であることは有名だったそうです。

私自身、タケシのサポートで最終戦のラスベガスのみ4年間、チームクルーとして参加したのですが、その時もチームボスのDJ氏はドラッグレースの世界の様々なことを私に教えてくれました。今でも感謝しています。

DJ氏というドラッグレース界の重鎮が旅立ったことに際して、自分よりも、もっとタケシの方がショックを受けていると思います。彼にとって恩師と呼べる人物がDJ氏でした。

私自身もアメリカのロードレースシーンの中で、お世話になった恩師や友人の多くが既に旅立ってしまったのですが、タケシにとってDJ氏という人物が同じような存在であったことは深く理解しています。

国境や人種を超えてハーレーというオートバイで結ばれた絆……その中で“師”と呼べる人との別れは私自身の経験と照らし合わせて考えても、辛いものです。

アメリカのレースシーンを牽引した巨星と呼べる偉大な先人たちの多くが、既にあの世に旅立ってしまいましたが、やはり残された我々は彼らが切り拓き、築いてきたハーレー・シーンをこれからも守り続けていかなければと考える所存です。それはきっとタケシも同じ気持ちでしょう。

最後にDJ氏のご冥福を心よりお祈りいたします。

株式会社サンダンスエンタープライズ代表 柴﨑“ZAK”武彦

 

 

 

 

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