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訃報:米国 ROBISON MOTORCYCLESのJOE ROBISON氏がご逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

去る2022年1月5日(現地時間)に米国 フロリダ州DaytonaにてROBISON MOTORCYCLESの代表を務めていたジョー・ロビソン氏がご逝去されました。ロビソン氏のご訃報に接し、心から哀悼の意を捧げます。

私、“ZAK”柴﨑にとってジョー・ロビソン氏は大切な友人であり、恩人と呼べる人物でした。享年94歳。一般的には大往生だと思います。3年前に私の母も他界したのですが、その時と同じように、まるで身内を亡くしてしまったような気持ちとなっています。

私がロビソン氏と出会ったのは忘れもしない1991年。弊社サンダンスが初めてアメリカのデイトナスピードウェイで開催されるレースに挑戦する前年のことです。

当時、初めての海外レース挑戦に際し、下見としてデイトナに飛んだのですが、その時はまだ右も左も分からない状況。そんな中、私に手を差し伸べてくれたのが “ロビソン・ハーレーダビッドソン” のジョー・ロビソン氏でした。

今のようにインターネットもなく、あらゆる情報を手探りで模索しなければならなかった時代……とりあえずフロリダ州のデイトナに行き、店内にあったハーレー・レーサーを見かけ、何も分からないままに扉を開いた場所、それが “ロビソン・ハーレーダビッドソン” でした。

我々サンダンスが初めて挑戦する海外のレース……当時のアメリカ南部といえば、今よりも色濃く人種差別などがあったのも正直なところですが、初対面の日本人である私に対して、レースに挑むまでの道標を示し、導いてくださった恩人がジョー・ロビソン氏でした。
その当時は“ロビソン”というショップが『南のハーレーワークス』と呼ばれている重鎮であることも露知らず、何も分からないまま、色々なことをご教授して頂いたのですが、彼、ジョー・ロビソン氏との出会いが間違いなくサンダンスレーシングプロジェクトの海外挑戦の起点であり、私、“ZAK”柴﨑にとってもハーレー・エンジニアとしてかけがえのない出会いをもたらせたものでした。

ロビソンのチーフメカニックを務め、XR1000の開発にも携わった私が“アメリカの父”と敬愛するジョン・ワード氏

ハーレー・ワークスの後、ロビソンのライダーを務めたロジャー・レイマン氏

ジョン・ワード氏の弟子にして、あの“ルシファーズ・ハンマー”を生み出したドン・ティリー氏

そしてジョン・ワード氏の兄貴分にしてハーレーレーシングの最高責任者でもあるXR750の開発者、ディック・オブライエン氏

私、“ZAK”柴﨑にとって強い影響をもたらせたハーレー・レーシングの伝説を築いた男たち……その彼らとの出会いの起点は、間違いなくジョー・ロビソン氏であり、彼が掛け値なしに恩人と呼べる人物です。
初めて“ロビソン・ハーレーダビッドソン”を訪れたあの日、既に帰宅途中だったジョン・ワード氏にロビソン氏が電話を入れ、フリーウェイを飛ばしてジョン・ワード氏がショップに戻ってきてくれた時から彼らとの濃密な交流が始まったのですが、思えばあの時からアメリカのレーシングシーンを飾った伝説の男たちと深い絆で結ばれた気がします。

ジョー・ロビソン氏との出会いがきっかけとなり、ジョン・ワード氏に“ルシファーズハンマー”のエンジンを見せて貰い、ディック・オブライエン氏を紹介されたことは私のエンジニア人生の中で間違いなく財産となっています。

また92年からスタートしたデイトナ・スピードウェイでの挑戦の際、ハーレーワークスが使用していた『伝説の28番ピット』を毎回、手配してくれたのも彼、ジョー・ロビソン氏でした。
そして、そうしたことを決して恩着せがましくするのではなく、ただ「OK、このピットを半分使っておけよ」とニコニコ笑いながら我々サンダンスの挑戦を見守ってくれたのも彼でした。私、“ZAK”柴﨑にとって本当の意味で恩人であり、サンダンスの歴史の中で欠かせない人物がジョー・ロビソン氏でした。
1992年から“デイトナウエポンⅠ”でバトル・オブ・ツインに挑み、‘94年にノースキャロライナ州で開催されたスーパーツインクラスで圧倒的な強さで優勝し、‘98年にデイトナBOTのF1クラス、そして同年に“デイトナウエポンⅡ”で鈴鹿8耐に挑んだ“サンダンスレーシングプロジェクト”、その礎を語る上で欠かせない人物がジョー・ロビソン氏なのです。その彼から譲り受けたデイトナスピードウェイのミニチュアのジオラマは今もサンダンスのショーケーズの中で大切に保管されています。

そのロビソン氏の最愛の妻であるアンジー夫人も2022年1月3日(現地時間)にお亡くなりになり、まるでその後を追うかのように5日にジョー・ロビソン氏がこの世を去ってしまい、まるで肉親が亡くなってしまったかのような、何とも言えぬ悲しみを感じているのが正直なところですが、それと同時に残された我々はハーレーダビッドソンというバイクの可能性を探求し、より良いものにしなければと改めて襟を正している次第です。

最後にジョー・ロビソン氏とアンジー夫人のご冥福を心よりお祈りいたします。

株式会社サンダンスエンタープライズ 代表取締役 柴﨑“ZAK”武彦

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