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MEDIA海外雑誌掲載

『Cycle World』誌 2005年10月号より (2013/07/23)

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本国アメリカのモーターサイクル雑誌のベストセラー「CYCLE WORLD」誌10月号にサンダンス製作の SUPER“REAL”KNUCKLE のテストインプレッション及びサンダンスの歴史概要が7ページにもわたり掲載されました。以前よりアメリカ各方面より、日本のサンダンスの活動内容に対する問合せやマシンの紹介を要望する声が多数寄せられていたそうです。スーパーXRやSUPER“REAL”KNUCKLEも一部で認知されていて、その取材依頼を数年前よりいただいていました。しかしマシンの生産が注文に追いつかず、試乗車すら仕上げられる時間もとれず、さらに多忙な日常の作業との擦り合わせが難しく取材をお断りしていました。
本年5月 SUPER“REAL”KNUCKLE のオーナーである大塚様のマシンの貸し出しという多大なる御協力により、同誌の期待に応えられる機会に恵まれ、柴崎とスーパーXRと共に渡米し、大好評の中取材を終えました。
取材担当に名乗りを挙げたのは、ハーレー史及びレース史の裏事情にも精通した、かの有名な ALLAN GIRDLER氏であった。まさにハーレーの生き字引と評される氏の取材とあって、我々も光栄であると共に緊張も隠せませんでした。実走行インプレッションでは、旧車とXR750を所有する同氏(ALLAN)に加え、テストライダーのDON CANET氏も試乗に参加。その感想は克明に文章にあらわされているようです。しかし、あまりにも多くのストーリーを持つ我社の歴史及びマシンの逸話をインプレッションと同じ特集の中の記事には書ききれず、まずはSUPER“REAL”KNUCKLE とサンダンスの歴史に集約し、スーパーXRは近いうちにもう一度特集をする予定となりました。同氏は一冊の本にしたいとも語っていたとも聞いております。本物に対しての厳しい目と知識を照らし合わせ記事にする同誌のポリシーのもと、冷静に取材した内容を、正確な翻訳をした文面にてご紹介します。

 

※CYCLE WORLDとは創刊より50周年の歴史を持ち、今でも全米で月間35~37万部の販売実績をもつ、カリスマ雑誌です。

 

 



 

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先進のビンテージ
文:アラン・ガードラー

日本で再創造されたこのナックルヘッドは、”新車より凄い”どころではなかった
まずは、こんな光景を想像していただきたい――。ダヴェンポート、デイトナ、マートルビーチ、ラフリン、どこでもいいのだが、往年の名車が集結してギャラリーの称賛を浴びるお馴染みのエキジビション会場に、ひとりのライダーが愛車を乗りつける。
彼の乗っているマシンがこれだ(SUPER “REAL” KNUCKLEの写真)。ギャラリーたちが賛嘆の囁きを交わすなか、審査員のひとりがこう言う。「これほどよく走るビンテージ・ハーレーは、今まで見たことがない」
「ハーレーじゃないよ」ライダーが言い返す。「去年作られたばかりの日本製さ」
ギャラリーたちは一斉に……いや、一部の人たちは、ショックと落胆を隠そうともしないだろう。しかし、真のバイクマニアであれば誰もが、今まさに風化しつつある価値観を蘇らせようとするこのプロジェクトに、ショーの最優秀賞を献呈するはずだ。

 



 

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このバイクを創造したのは、東京に拠点をもつバイクショップ、サンダンス(www.sundance.co.jp)の創設者にしてエンジニアのタケ・柴崎だ。ザックの愛称で世界的に知られている彼が、SUPER “REAL” KNUCKLEと命名されたこのバイクの再創造計画に取り組んだのには、それなりのエピソードがあった。以前に、1946年製ハーレー・ダビッドソンModel Eタイプのレストアに携わったのである。ザックは、古いマシン特有の不吉なノイズが完全に消え去り、エンジンからのオイル系の漏れが完全になくなるまでこの古いマシンを試走させなかったし、もちろん、ユーザーに納車することもなかった。そしてこの経験が、SUPER “REAL” KNUCKLEの再創造という夢の実現につながっていったのだ。それはまさに、夢を具現化してゆく仕事だった。H-Dオリジナル・ナックルの外観と雰囲気は、万人の眼を奪うバイク・デザインの古典であり、この設計があったからこそ、ハーレーは大恐慌の時代を生き延びられたのだから。


ナックルの新車? 改良点の大半は見事に隠されているのだから、そう呼んでもいいだろう。
フロントブレーキが油圧式に改善されていることは一目瞭然だが、リアサスペンション機構とヘッドもザック独自のものだと見受けられる。実はこのヘッドはアルミ製で、H-Dオリジナル・ナックルの鉄製ヘッドを再現するため、アッセンブル前に黒くペイントされているのだ。


ザックは気づいた。自分は古いエンジンの完全無欠な修理ができるし、新しいエンジンの設計・開発もできる。それなら、古いエンジン――例えばハーレー・ナックルヘッド――の改良版を新たに製作することだって可能なはずだ。
つづいてザックは、本田宗一郎が著書に書いていたこんな言葉を思い出した。なにか新しいマシンを思いついて、そのマシンが自分でも気に入ったなら、真のバイク狂たちも必ず気に入ってくれる――。
そこでザックは腰を据え、このページに写真を掲載したマシンの設計・製作に取りかかった。すなわち、新車より凄い1946年製ナックルヘッドである。[柴崎による訳注:本田宗一郎氏を大尊敬しているが、著書の言葉はガードラー氏の好意的演出で記載したもよう]


フレームは、サイドカーを固定する突起部に至るまで完全な復刻だ。ホイールベースやエンジンの位置、フォーク形状などもオリジナルから変わっていない。だが、リアフェンダーの前部に見える部分の内側には、 実はがっちりとマウントされたスイングアーム・ピボットを隠されている。その後部、リアホイール周辺のフレームは別体式となっており、アッパーチューブのリアとフロント部分には差し込み状の機構が与えられ、さらに、ギアボックスの下にはショック・アブソーバーを隠して設置、リアサスペンションのストロークは後輪部で実に3インチも動いているのだ。

フロントサスペンションはハーレー伝統のスプリンガー・フォーク・リーディング・リンク式だ。こちらにも、可能な限り摩擦を減らして寿命を大きく延ばすため、特殊コーティングが施されている。このコーティングに協力してくれたのは、F1カー関係の仕事をしているザックの知人たちだった。[訳注:コーティングノウハウは持ち前のもの。ガードラー氏は私の交友範囲と技術の裏付けの表現でこのように書かれたと思われる]
ザックが、細部に至るまで自分《のマニア魂》に妥協を許せなかったため、SUPER “REAL” KNUCKLEのフロントとリアにはドラムブレーキが採用された。ただし、このブレーキはワイヤーやロッド式ではなく、油圧で動作するタイプとなっている。《特にフロントの》ドラムに使われている鋳鉄は最高級の品質であり、ライニングも最新のものだ。
実用安全性を求めるポリシーと、旧車マニアの意地が拮抗するプロジェクトだった。補器機類の部品《の一部》などは、カスタム・クローム社をはじめとするアメリカの会社の製品を使用しているが、これは各製品の質がそれほど悪くないことに加え、パーツの輸入販売も行なっているサンダンスには常に在庫があるからだ。
次に、ジェネレーターとその上にのせられたレギュレーターを見てみよう。じっくり観察すればわかるとおり、このふたつは発電機でもなければレギュレーターでもない。特注S&S社製のケースをもつこのエンジンは、交流発電のオルタネーターを内蔵する構造であり、このジェネレーター《ダイナモ》のように見えるパーツは実はオイルフィルターで、配線が伸びている小さな箱は単なるダミーなのだ。[訳注:カットアウトリレーをさしている。実は実走行上は無用の物だが、ビジュアル的に装備]
エンジンの左側には、ロッカーペダルがついたフットクラッチらしきものが飛び出している。ハンドシフト・レバーもあるし、タンクの上にはシフトガイドまである。しかしこのレバーによけいな物は接続されておらず、フット「クラッチ」風チェンジペダルが4速ミッションのギアを実際にシフトしてゆく。つまり、ハンドルの左側につけられたレバーは、見た目どおりクラッチ・コントロールを行なうわけだ。そう言えば、燃料タンクの左上部にある金属製のハンドルは、1936年以前のハーレーに付いていたオイルポンプではないだろうか? 残念。燃料用の小型コックでした[訳注:ガードラー氏は以前にVLを所有しており、ちょっと勘違い!?]。
真面目な話、このエンジンは古風なテイストを保っていると同時に、たいへん進取的なのである。
古風と言うのはほかでもない、ザックは当初、ナックルのように見えるEVOビッグツイン並のエンジンを作ろうと考えたからだ。しかし彼は、結局H-Dオリジナル・ナックルよりも優れた本物のナックルを作ってしまった。この特注S&S製クランクケース内は、ボアとストロークが3 5/8インチ × 4 1/2《xx41/4》インチに設定されている。このような数字でさえ、メートル法なんかどこ吹く風とばかり、小数点を使わない昔ながらの分数表記だ。トータルの排気量は、モデルEタイプの61 cu.in (1000 cc)や後年のモデルFタイプの74 cu.in (1200 cc)を凌ぎ、88 cu.in (1450 cc)となっている。この排気量は、H-Dオリジナル・ナックルをさらに大きく育てるための、いわば「ミルク」として必要だった。
ヘッドは鋳鉄製ではなくアルミ製で、伝統的な半球形をした燃焼室の圧縮比は8.0対1とし、実用性を考え体積を大きく確保している。シリンダーも当然サンダンス製で、ショベルヘッドとパンヘッド、そしてナックルヘッドの設計を混淆したもの。冷却フィンはH-D ナックルのオリジナルそのままに見えるが、ベース部分がショベルヘッドのように増強され、オイルラインはパンヘッドのように側面を走っている。要するに、構造上オイル漏れが起きないのだ。H-Dオリジナル・ナックルでは、ロッカーカバー(ここの形状がそのままマシン全体の愛称となった)がヘッドブロックの縁にある台座状の突起部にマウントされていたのだが、振動がこの突起部にひび割れを起こさせる欠点があったため、サンダンスは太さを増すことで強度を確保した。[訳注:当時のものに比べ、格段に良い材料を使用することで強化しているのは言うまでもありません]
さらにサンダンスは、タペット・リフター・ブロックもシリコンブロンズ材で新たに鋳造した。耐久性を高めつつ、後年のパンヘッドやショベルヘッドで見られた油圧式タペットに適合させるためである。シリコンブロンズ材はインテークバルブ・ガイドにも使われているが、エグゾースト側にはベリリウムカッパー合金が選ばれた。異色という点ではロッカーアームも面白い。片側は改良された合金製なのに、反対側がショベルヘッドのままなのだから。[訳注:ロッカーアームは 1:1の比率はそのまま高品質で低コストを計り、半分はアイアンXL用を用いた]。
カムシャフトは、長年サンダンスにパーツを供給してきたアンドリューズ社製。マイルドなカム・プロフィールが、低回転時の高トルク感と安定したアイドル音を生み出している。ザックは、サンダンスのSUPER “REAL” KNUCKLEはあくまでもホットロッド用のマシンではないと力説する。どの改良も、エンジンの耐久性を延ばし、より安心で安定した性能を確保したいがために行なわれているからだ。
もう簡単に予想できると思うが、ギアケース・カバー上のオリジナルとよく似たタイマーデスビに仕込まれているイグニッション・システムは、もちろんトランジスタ式に変更されている。当然12ボルトだ。ギアはアンドリューズ社製で、ザックが機械的ノイズを好まないため、プライマリードライブにはベルト方式が採用された。[訳注:ノイズではなく、オイルリーク対策として。現在は純正ルックのままでありながら、完全密閉式のプライマリーを開発中。EVOのクラッチを使用できる湿式]
方向指示用のボタンは、目立たないようにセットされている。だが、エンジンの始動はキックのみで行なうのだから、例のボタン[セルボタン]は装備されていない。マイルドなエンジン・チューン、そこそこ抑えられた圧縮率、近年型のS&S製キャブレター、そして芸術的なイグニッションのおかげで、エンジンの始動はたいへん快適だ――少なくとも、諸元表の上では。この点については後述したい。[訳注:やはりキックのみでは、慣れるまで始動に手こずる人もいるだろうなあ]
気のきいた特徴はもうひとつある。第二次世界大戦前、スパークプラグは大きくて不格好だった。そんな骨董的な性能の品など、ザックは使いたくなかった。とはいえ、現代のプラグの外観ですべてをぶち壊しにするのも我慢ならなかった。そこで彼は、往年のスパークプラグのボディを模したアダプターを製造し、そのなかに最新のプラグを装着してしまった。この点に気づいてくれる人はいるのだろうか? あるいは、こんなことに気を遣ったエンスーがほかにいただろうか? どちらも、答はノーだろう。

 



 

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このプロジェクトのためには、長い研究開発期間と多額の経費が必要とされた。本田宗一郎のもうひとつの名言――自分はひとりのバイクファンにすぎない――を、思い出さずにはいられない。
ザックのビジネスを支えているのは、オーダーに応じたカスタムバイクを製作することだ。当然ワンオフ・メイクだから、台数は限られてしまう。このSUPER “REAL” KNUCKLEは、現在までに彼が製作した6台目にあたる。6台すべてが日本国内のマニアたちに販売されたし、今回の1台は、本誌の取材のため、わざわざお客さんの協力を得てアメリカに持ち込まれたものだ。
さて――。
このSUPER “REAL” KNUCKLEに関しては、指摘しておかなければいけない点もいくつかある。まず、フロントブレーキのマスターシリンダーの内径が少し大きく、マシンを制動するのにけっこうな力が要求されること。キャブレターは、近いうちリンカート社が作った当時のレプリカに交換されるそうだ(もちろん中身は最新版)。そして、キックスタートのマシンを経験した人なら誰もが知っているとおり、このエンジンもまた、ニュートン力学の気まぐれに振り回されてしまった。[訳注:ニュートン三力学の一つ「作用・反作用の法則」を引用] つまり、一発でかかることもあれば、そうでないことも稀にあったのだ。ザックと奥さんのトモ、そして通訳のアダム・カウフマンがこのマシンを木枠から出したときは、何度も一発でかかってくれた。ところが、『Cycle World』誌のための試乗に備えた現地への適合調整では、一発でかかってくれないことも何回かあったのである。[訳注:現地での取材試乗時に使用したガソリンは、カリフォルニアの州法を遵守するため、世界中のどのガソリンとも異なる特殊な組成(粗悪)のものだったため、再適正セッティングが必要だった。しかし、本文のような始動性の悪かったことは一度もなかったが、高齢のガードラー氏が始動作業を行った想定で記したと思われる] 不便さを我慢してまで、人が古典的名車に乗りつづける理由を『Cycle World』は説明してきた。ザックの当初の狙いは、本誌で語られた理由をすべて具現化し、かつ、改善すべき点はすべて改善した名車の再創造だった。言葉を換えるなら、SUPER “REAL” KNUCKLEでの走りも、新たに誕生した古典的な体験なのである。半世紀近い経験をもつベテラン・ライダーたちの意見によると、ザックのマシンで特筆すべきはライディング・ポジションと乗り心地のよさであり、往年の優美な加速感が正しく再現されている点だ。
加えて、オイル漏れや部品の脱落を心配する必要がまったくないことも重要だろう。すべてがかっちりしており、当然、試乗後もオイル漏れなどただの一滴もなかった。
エンジンが始動したとき、アイドリングは工業用ミシンのようにスムーズで、ノイズもほとんど聞き取れないレベルだった。このエンジンが眠りから覚めるさまは、遠い祖先たるビッグツインを彷佛とさせるし、ドライブトレインはフリーウェイでの高速も楽々とこなしてゆく。スプリングがついたトラクター・スタイルのサドルは快適だ。ただしライダーのほうは、まともに吹きつけてくる風圧を耐えねばならない。
また、チェンジペダルの動作範囲はかなり狭い。このスイング動作のシフトに慣れるのには、ちょっと時間が必要だろう。だから試乗の第一日目は、田舎道での走りが楽しかったのと同じくらい、混雑した道路を走るのには困難が感じられた。
で……結論は?
ここにあるのは、約50,000ドルに相当する時間およびクラフツマンシップの精華だ。このプロジェクトから利益を上げることなど、ザックは考えていない。しかし、マシンの製作原価は回収する必要がある。「Knuckle」という名称に関して、ザックは日本での商標権
をすでに取得しているし、類い稀な偉業であるこのマシンに、もはや咎められるべき点などなにもないのだ。


ザ・サンダンス・キッド
なぜ東京を拠点とするエンジニアが、アメリカのマニアたちに向けハーレーの魅力を改めてアピールできるのか


ある文化のなかで生まれ育った人びとにとっては、平凡な日常に過ぎないことであっても、その文化に属さない人の眼には異質かつ魅力的に映る場合がある――。この真理を明快に示してくれたのは、哲学者のエリック・ホッファーだった。
つまり、ある文化圏では常識として見過ごされているものを、部外者の感性が高く評価することもあり得るわけだ。
20数年前、機械工学を学びながらレースカーのチューニングをしていたザックこと柴崎武彦が、初めてハーレー・ダビッドソンのエンジン音を聞いたときにも同じ現象が起こった。
英語で「potato-potato-potato」と擬声語化されているあの音を、正確に転写した日本語の表現は未だに存在しない。ザックもまた、ナローアングルの古きビッグツインが放つ音を聞くのは初めてだったし、あのようなエンジンは経験したことがなかった。そんな彼の頭にまず浮かんできたのは、「こいつを分解してみたい」という欲求だった。
数年後、現物をやっと分解してみて、ザックは強い感銘を受けた。――日本のエンジンとは対照的に、ハーレーの可動部品はほとんどが互換可能である。ハーレーのエンジンは、コルトの回転式拳銃やエビンルードの船外機となんら変わらず、部品さえ交換すればいくらでも修理できるし永遠に回り続けるのだ。

ザックの祖父は、第二次大戦の空襲で焼かれるまで鋳物工場を経営していた。戦後、お父さんは米空軍向けの部材も製造する町工場を立ち上げ社長となった。子どものころから実験が大好きだったザックは、工具や素材について学びつつ、同時に、カウボーイ・ブーツやブルージーンズ、映画に描かれた孤独なヒーローといったアメリカ文化にも強く憧れ
ていった。
アメリカ文化への憧れを抱いたまま、ザックは成人した。中古のハーレーが欲しかったものの、当時の日本では入手がほぼ不可能だったため、ザックは金を貯めて新車を買うことにした。その新車が、1980年製のローライダーである。
ルックスや音はもとより、乗り心地や性能も期待どおりだったこのローライダーによって、ザックの夢は実現されたかに思えた。だが1980年といえば、アメリカ連邦政府が定めた安全基準と排ガス基準に適合させるため、ハーレー・ダビッドソンの技術者たち(に限らず全バイク・メーカーの設計部門)が悪戦苦闘していた時期だ。自ずと、品質管理にはどうしても眼が行き届かなくなってしまう。


ザックのローライダーもオイル漏れを起こした。部品は次々とゆるんだし、日本の渋滞に巻きこまれるとオーバーヒートした。
とはいえ、このローライダーはオーナーに恵まれたと言えよう。素養と知識に加え、すでにザックは充分な実践経験を積んでいたからだ。初めてハーレーのエンジンを分解したのは、このときである。さっそく彼は、修理・改良に取りかかった。例えば、ギアケース・カバーに付けられたガスケット。当時のハーレーのガスケットは繊維製で、カバーを締め直すたびクリアランスを再調整しなければいけなかった。ザックには金属製のガスケットを自作した経験があったし、それをハーレーのエンジンに転用するのは少しも難しくなかった。
やがて、ザックはサンダンス社を立ち上げ、Tスペックと名づけた独自の技術を確立し……おっと、ここまで書いたところで、同社の通訳アダム・カウフマンが割りこんできた。ザックから、ひとつ要望があると言う。ザックの会社が、日本最大のハーレー・ダビッドソン・ディーラーであるというこれまでの報道は事実ではないし、その点はぜひはっきりさせておきたいそうだ。実のところ、サンダンスで働いているのはザックと奥さんのトモ(ハーレー・ライダーの彼女はザックのお客さんだった)に加え、数人のメカニック・アシスタントだけである。そして全員が、骨身を惜しまず仕事に励んできた。
そんなサンダンスに大きな飛躍をもたらしたのは、ザックがもつ不思議な才能だった。彼がなにかを求めると、ほかの人もそれが欲しくなってしまうのだ。アメリカに友人ができはじめた。ハーレー・レーシングのリーダーだった故ディック・オブライエン、伝説のチューナー、ジェリー・ブランチ、自身の会社をはじめたばかりのエリック・ビュエルなどだ。当時のビュエルは、XR-1000エンジンの売れ残りを搭載し、フルカウリングが装着されたセミ・レーシングマシンの販売を開始したばかりだった。(これがザックの進んでゆく道を暗示していた)
ザックは、誕生したばかりのビュエルの会社と、日本におけるディーラー契約を結んだ。利益よりも、友情と熱意に衝き動かされての決断だった。数年たって、このディーラーシップは別の会社へと引き継がれたのだが、すでにこの段階でザックはXRエンジンと充分に深く関わっていた。1983年から84年にかけて、微々たるセールスしか記録できなかったXR-1000は、XR750ベースのストリート・ハーレーという性格をもつマシンだった。


このSuper XRは、1986年~2003年のスポーツスターを、不運に終わったXR-1000のスタイリングと組み合わせたサンダンスの製品。車体調整は極限まで高められており、後輪100馬力対応に改良されたブレーキとサスペンションに加え、カーボンファイバーのフェンダー、手作業で打ち出されたアルミのタンクが搭載されている。サンダンスがこれまでに製作したSuper XRは70台を超えており、そのほとんどが日本国内で販売された。最低価格は28,000ドルから。

 



 

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茶目っ気もサンダンスの特徴のひとつだ。ナックスターを搭載したこの”Wild Olive”は、もし1920年代にドラッグレーサーがあったら、と空想して製作されたマシン。[訳注: 私、柴崎個人の所有車として、又、コンセプトマシンとして1997年に製作したものです。]
ザックは現在の流行を10年近くも先取りし、リアにワイド・タイヤを採用した(写真のマシンの場合は自動車用タイヤ)。往年のヴィンセント社製バイクを思わせるフロントのH-Dツイン・ドラムに注目。


ビル・ワーナーやケン・トルバート、スティーヴ・ストーツがそうであるように、ザックもレースの大ファンなのだが、自分がレースライダーにふさわしくないことをよく自覚していた。彼がチューナー兼スポンサー兼チーム・オーナーとなるのは、自然の成りゆきだった。
ザックは、「ルシファーズ・ハンマー」の異名をもつXRロードレーサーから多くを学んだ。ジェイ・スプリングスティーンがまたがり、のちにジーン・チャーチが駆って初期のデイトナ・ビーチ・バトル・オブ・ツインズ(BOT)を圧倒したマシンが、「ルシファーズ・ハンマー」である。ザックは、自らもBOT/AHRMA[アメリカ・ヒストリック・レーシング・モーターサイクル協会]参戦用のマシンを製作し、”Daytona Weapon”と命名した。H-Dワークス・チームの仕様がそうだったように、”Daytona Weapon”もXLとXRを混合した仕様で、彼がそれまでに積み重ねてきた経験の成果と呼べるマシンだった。


スプリンガーと”Daytona Weapon”。バトル・オブ・ツインズを闘ったハーレーXR-1000「ルシファーズ・ハンマー」を出発点とし、友人である故ジョン・ブリッテン氏の画期的なV1000からも刺戟を受けながら、サンダンスが製作した愛の結晶と呼べるマシンだ。
今でもときどきレース参戦しているが、数名のスタッフが多忙を極める現在のサンダンスは、レースではなくお客様のバイクに注力している。


ザックはEVOエンジンについても豊富なノウハウをもっている。この”Full Metal Jacket”は、日本の映画スター夫婦のため製作された2台のソフテイル・フレーム・マシンの1台。SFアニメから飛び出してきたように見えるこのバイクでは、鋳造アルミ・パーツが大きなアクセントとなっている。金属細工師の第三世代ならではの仕事だ。


これらのレーサーレプリカも、サンダンスのビジネスの一部を占めている。フルカウルを装着したこのSuper XR1200 TT “Roger”は、デイトナ200ロードレースを三回も制したハーレーのファクトリー・ライダー、ロジャー・レイマンにちなみこう命名された。このほかにも、Super XR1200DTストリート・トラッカーが製作されており、こちらは、スポーク・ホイールとツインショックを備えた”Jay”、キャスト・ホイールとモノショックの”Scotty”というふたつのヴァージョンがある。ネイキッドでカフェレーサー風の”Golden Balls”というマシンもあるのだが……《この名の由来は》詳しく説明するのは差し控えよう。[訳注:いわゆるキン○マ。しかし欧米ではキン○マは根性の意味であり、非常に高貴な名として受け入れられている。意外??]


デイトナにおけるサンダンスの歴史には、誇りと苛立ちが交錯している。日本で高評価を受けていたマシンを持ち込んだサンダンスに注目し、大いに称賛してくれたのはジェイ・スプリングスティーンその人だった。サンダンスはラップ・レコードをいくつか獲得し、予選を何度も勝ち抜いた。ザックは、故ディック・オブライエン師から技術者としての無言の御墨付きを授けられ、また、デイトナ・サーキットのすぐ近所で営業している往年の名チューナー/名レーサーが集うショップ、ロビソンズ・ハーレーの設備を自由に使えるようになった。しかし、サンダンスは取るに足らない失敗もいろいろと経験しており、その大半は部品会社が責を負うべきものだった。ある年には、オイルポンプの構造上の問題に苦しめられた。またある年は、突然バッテリーが死んだ。フロントタイヤの空気が抜けたこともあったし、ミッションのカウンターシャフトのボルトに問題が発生したこともあった。
こんなすべてが、今では歴史となってデイトナ・ビーチに眠っている。サンダンスのスクラップブックには、”Daytona Weapon”と並ぶ伝説のマシン、ブリッテンの写真があった。サンダンスが、BOT F1クラスで優勝を飾ったのは98年のことだ。
「ということは、ブリッテンに勝ったってこと?!」[訳注:ブリッテンはカテゴリーが改造無制限のクラスのみ。BOT F1はDOHCリッタークラス]
違うんだ――。ザックが残念そうに微笑む。実は、サンダンスがブリッテンと競ったのはサウンド・オブ・サンダーというレースで、優勝はブリッテン、”Weapon”に乗った日本人レーサーは第四位、”Golden Balls”に乗ったジェイ・スプリングスティーンは第六位だった。
これに遺恨を感じるどころか、あいかわらずブリッテンの大ファンでありつづけているという点に、ザックの性格がよく現われているのだろう。ブリッテンのレアなマシンのひとつを日本で売りたいと相談された彼は、ホンダ・コレクション・ホールまで足を運び、ブリッテンのスタッフを紹介した。[訳注:当時、生前のジョンと交友であった私あてに、意思を次ぐ同社社員から存続の危機の連絡が入った。なんとか一台のマシンを日本で売りたいとの要望で国内に持ち込むことになった] 買ってくれないか、という彼らの申し出は即座に拒絶され、以来ザックはこんな冗談を言うようになった。――もし今、本田宗一郎さんが生き返ったとしても、彼はホンダ《技研》モーターズには就職しないだろう。

もっと重要なのは、派手なチョッパーを中心としたバイクがケーブル・テレビによってショー・ビジネスにされてしまうずっと前から、ザックはハーレー・ダビッドソンに関わってきたという事実だ。アメリカや日本でこの種のバイクを作っている人たちのことなら、ザックもよく知っているし、かれらの製品に「それなりの敬意を払う」と述べている。それでもなお、ザックは、あの世界への参入はまったく考えていない。彼が興味をもっているのは、テクノロジーとスポーツをうまくバランスさせた作品を創造することであり、テレビでの流行にはなんの関心もないのだ。
(ここで、彼の姿勢に共感した純粋主義者たちが一斉にうなずく←サイクルワールド誌編集スタッフ達)
スポーツという側面が強調されるようになったきっかけは、ビュエルが使用したXR-1000のエンジンだった。ザックもXR-1000を1台購入し、ローライダー同様おおむね満足したのだが、あちこちのパーツを修正できることに気づいた。こうして彼は、日本の XR-1000オーナーにとって、なくてはならない人となった。趣味に近いと本人が述べているのは、日本での販売台数がアメリカとは比べものにならないほど少なく、もとよりアメリカでの売れ行きも最悪だったからだ。
以来サンダンスは――本稿のなかで紹介してきたとおり――XRの欠点を技術面のみならず芸術面でも補ってきたし、もっと先にまで歩を進めている。

現在《2005年5月現在》46歳のザックは、今までの人生のちょうど半分をハーレー・ダビッドソンの改良と製作に費やしてきた。彼の繊細な仕事は、アートと呼ばれるにふさわしい。だが、彼の製作するバイクやパーツは大量生産品ではないし、おのずと高価になるから、万人向けとは言えないだろう。

ここでザックは、彼の通訳をしていたカウフマンを再び遮り、自ら英語でこう言った。「This is not profit, this is my passion.(金儲けが目的じゃない、これがぼくのパッションなんだ)」この発言に、すべてが集約されている。

――アラン・ガードラー

*注 英文のオリジナル原稿をサイクル・ワールド誌のため執筆するうち、ガードラー氏はサンダンスのストーリーに感銘し、「一冊の本にしたい!」といったほど内容豊富な記事になってしまったため、スーパーXRに関する記述だけでも所定の7ページに収まらず、次回にまわすほどだったとのこと。最終編集のまとめ段階では、他のスタッフが行ったため、ガードラー氏の原文と多少意味合いが異なってしまった部分があったようです。記載された本文に出来るだけ忠実に専門家に翻訳をお願いしました。しかし米国業界の他方面に対して不適切な文面として記載された部分は、本題のマシン評価やサンダンスの姿勢などの本質とは関係ない部分であったため、本人の承諾を得て削除いたしました。更にはささいな間違えでありましたが、サンダンス発足時のプロセスとレースでアメリカ進出のエピソードが混濁している文面も、事実とは異なり本題とは関係ないため同氏承諾を得て修正いたしました。

筆者:Allan Girdler(アラン・ガードラー)
ハーレー界の「生き字引」と称される文筆家。
サイクルワールドの編集者を経て、多くの著作を手がける。“Illustrated Harley-Davidson Buyer’s Guide”や“Harley Racers”、自らもXR750を駆り、著した“Harley-Davidson XR750”は有名。歯に衣噛ませぬ直言や豊かな文章表現力と技術力に定評がある。


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