RACING PROJECT
サンダンス・レーシングプロジェクトは、H−Dエンジンシステムの限界と、レーシングマシンとしての可能性を追求する為、1988年に活動をスタートしました。
そして、我々がエントリー可能なレースがあれば積極的に参戦し、ついにその活動の場を本場アメリカのデイトナやヨーロッパのアッセンにまで拡大。その結果、幾つかのトロフィーと、非常に多くの経験を得ました。
現在も独自のスタンスを守りながら、着実に活動を続けています。現在の活動の主な目的は、レース参戦を通してモーターサイクルパーツの限界耐久テストや新機能の導入テスト、技術開発とメカニックの技術力向上などを行い、これらを市販オリジナルパーツの製作・改良及び各種サービスにフィードバックさせることです。
たとえ、ストリートバイクといえども、過酷な状況下に置かれることは多々あります。サンダンス エンタープライズは、その時「ライダーがいかに安全であるか」「機関部へのダメージをいかに最小限にとどめるか」を重視します。そして、この課題をクリアするためには、机上の計算だけでなく、実走行に基づいたデータが必要と考えています。
サンダンス・レーシングプロジェクトが、レースという極限状態から生み出すもの……それは、日常での高い信頼性と、確かな性能です。
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1989〜1991年
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| Buell RR1000をモディファイした”Weapon”で、国内ツインレースに参戦。優勝他、数々の戦績を残す。 |
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1992年
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| 舞台を世界へ。オリジナルのH−Dレーサー“DaytonaWeapon 1”を製作し、初のデイトナ遠征。レースはマイナートラブルによるリタイアという結果に終わるが、ハーレーワークス関係者や各国のメディアの間で話題騒然となる。 |
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1994年
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| 再度アメリカヘ。ジョージア州ローベリングロードで行われた全米チャンピオンシリーズ・スーパーツインクラスに参戦、圧倒的な強さで優勝。デイトナでは、マイナートラブルによりトップ争いを繰り広げつつもリタイア。 |
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1997年
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| デイトナ・BOT F2クラスに“ゴールデンボールズ”を投入。ライダーはアメリカン・レジェンド、ジェイ・スプリングスティーン。念願の初優勝。 |
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1998年
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悲願達成!BOT F1クラスにて“DaytonaWeapon 1”と、日本人ライダー須貝のコンビで優勝を成し遂げる。
チーム・MCサンダンスとして鈴鹿8耐に参戦。H−Dの参戦は8耐史上初。スーパーXRエンジン+大改造した特注サクソンフレームの“Daytona Weapon 2”と匹田、野口両選手は8時間を戦い抜き、多くの人に感動を与えた。 |
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1999年
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アメリカでダートレーサーに乗る日本人、平尾選手の依頼でマシンを一年サポート。AMAプロ年間ランキング9位。平尾選手のプロ昇格の手助けとなる。
数々のレースが与えてくれた幾多の試練は、勝ち取ったいくつかの栄冠以上に貴重な財産となり、我々の血肉となった。 |
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