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茶目っ気もサンダンスの特徴のひとつだ。ナックスターを搭載したこの"Wild Olive"は、もし1920年代にドラッグレーサーがあったら、と空想して製作されたマシン。[訳注: 私、柴崎個人の所有車として、又、コンセプトマシンとして1997年に製作したものです。]
ザックは現在の流行を10年近くも先取りし、リアにワイド・タイヤを採用した(写真のマシンの場合は自動車用タイヤ)。往年のヴィンセント社製バイクを思わせるフロントのH-Dツイン・ドラムに注目。 |
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ビル・ワーナーやケン・トルバート、スティーヴ・ストーツがそうであるように、ザックもレースの大ファンなのだが、自分がレースライダーにふさわしくないことをよく自覚していた。彼がチューナー兼スポンサー兼チーム・オーナーとなるのは、自然の成りゆきだった。
ザックは、「ルシファーズ・ハンマー」の異名をもつXRロードレーサーから多くを学んだ。ジェイ・スプリングスティーンがまたがり、のちにジーン・チャーチが駆って初期のデイトナ・ビーチ・バトル・オブ・ツインズ(BOT)を圧倒したマシンが、「ルシファーズ・ハンマー」である。ザックは、自らもBOT/AHRMA[アメリカ・ヒストリック・レーシング・モーターサイクル協会]参戦用のマシンを製作し、"Daytona Weapon"と命名した。H-Dワークス・チームの仕様がそうだったように、"Daytona Weapon"もXLとXRを混合した仕様で、彼がそれまでに積み重ねてきた経験の成果と呼べるマシンだった。
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スプリンガーと"Daytona Weapon"。バトル・オブ・ツインズを闘ったハーレーXR-1000「ルシファーズ・ハンマー」を出発点とし、友人である故ジョン・ブリッテン氏の画期的なV1000からも刺戟を受けながら、サンダンスが製作した愛の結晶と呼べるマシンだ。
今でもときどきレース参戦しているが、数名のスタッフが多忙を極める現在のサンダンスは、レースではなくお客様のバイクに注力している。 |
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| ザックはEVOエンジンについても豊富なノウハウをもっている。この"Full Metal Jacket"は、日本の映画スター夫婦のため製作された2台のソフテイル・フレーム・マシンの1台。SFアニメから飛び出してきたように見えるこのバイクでは、鋳造アルミ・パーツが大きなアクセントとなっている。金属細工師の第三世代ならではの仕事だ。 |
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| これらのレーサーレプリカも、サンダンスのビジネスの一部を占めている。フルカウルを装着したこのSuper XR1200 TT "Roger"は、デイトナ200ロードレースを三回も制したハーレーのファクトリー・ライダー、ロジャー・レイマンにちなみこう命名された。このほかにも、Super XR1200DTストリート・トラッカーが製作されており、こちらは、スポーク・ホイールとツインショックを備えた"Jay"、キャスト・ホイールとモノショックの"Scotty"というふたつのヴァージョンがある。ネイキッドでカフェレーサー風の"Golden Balls"というマシンもあるのだが……《この名の由来は》詳しく説明するのは差し控えよう。[訳注:いわゆるキン○マ。しかし欧米ではキン○マは根性の意味であり、非常に高貴な名として受け入れられている。意外??] |
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デイトナにおけるサンダンスの歴史には、誇りと苛立ちが交錯している。日本で高評価を受けていたマシンを持ち込んだサンダンスに注目し、大いに称賛してくれたのはジェイ・スプリングスティーンその人だった。サンダンスはラップ・レコードをいくつか獲得し、予選を何度も勝ち抜いた。ザックは、故ディック・オブライエン師から技術者としての無言の御墨付きを授けられ、また、デイトナ・サーキットのすぐ近所で営業している往年の名チューナー/名レーサーが集うショップ、ロビソンズ・ハーレーの設備を自由に使えるようになった。しかし、サンダンスは取るに足らない失敗もいろいろと経験しており、その大半は部品会社が責を負うべきものだった。ある年には、オイルポンプの構造上の問題に苦しめられた。またある年は、突然バッテリーが死んだ。フロントタイヤの空気が抜けたこともあったし、ミッションのカウンターシャフトのボルトに問題が発生したこともあった。
こんなすべてが、今では歴史となってデイトナ・ビーチに眠っている。サンダンスのスクラップブックには、"Daytona Weapon"と並ぶ伝説のマシン、ブリッテンの写真があった。サンダンスが、BOT F1クラスで優勝を飾ったのは98年のことだ。
「ということは、ブリッテンに勝ったってこと?!」[訳注:ブリッテンはカテゴリーが改造無制限のクラスのみ。BOT F1はDOHCリッタークラス]
違うんだ――。ザックが残念そうに微笑む。実は、サンダンスがブリッテンと競ったのはサウンド・オブ・サンダーというレースで、優勝はブリッテン、"Weapon"に乗った日本人レーサーは第四位、"Golden Balls"に乗ったジェイ・スプリングスティーンは第六位だった。
これに遺恨を感じるどころか、あいかわらずブリッテンの大ファンでありつづけているという点に、ザックの性格がよく現われているのだろう。ブリッテンのレアなマシンのひとつを日本で売りたいと相談された彼は、ホンダ・コレクション・ホールまで足を運び、ブリッテンのスタッフを紹介した。[訳注:当時、生前のジョンと交友であった私あてに、意思を次ぐ同社社員から存続の危機の連絡が入った。なんとか一台のマシンを日本で売りたいとの要望で国内に持ち込むことになった] 買ってくれないか、という彼らの申し出は即座に拒絶され、以来ザックはこんな冗談を言うようになった。――もし今、本田宗一郎さんが生き返ったとしても、彼はホンダ《技研》モーターズには就職しないだろう。
もっと重要なのは、派手なチョッパーを中心としたバイクがケーブル・テレビによってショー・ビジネスにされてしまうずっと前から、ザックはハーレー・ダビッドソンに関わってきたという事実だ。アメリカや日本でこの種のバイクを作っている人たちのことなら、ザックもよく知っているし、かれらの製品に「それなりの敬意を払う」と述べている。それでもなお、ザックは、あの世界への参入はまったく考えていない。彼が興味をもっているのは、テクノロジーとスポーツをうまくバランスさせた作品を創造することであり、テレビでの流行にはなんの関心もないのだ。
(ここで、彼の姿勢に共感した純粋主義者たちが一斉にうなずく←サイクルワールド誌編集スタッフ達)
スポーツという側面が強調されるようになったきっかけは、ビュエルが使用したXR-1000のエンジンだった。ザックもXR-1000を1台購入し、ローライダー同様おおむね満足したのだが、あちこちのパーツを修正できることに気づいた。こうして彼は、日本の XR-1000オーナーにとって、なくてはならない人となった。趣味に近いと本人が述べているのは、日本での販売台数がアメリカとは比べものにならないほど少なく、もとよりアメリカでの売れ行きも最悪だったからだ。
以来サンダンスは――本稿のなかで紹介してきたとおり――XRの欠点を技術面のみならず芸術面でも補ってきたし、もっと先にまで歩を進めている。
現在《2005年5月現在》46歳のザックは、今までの人生のちょうど半分をハーレー・ダビッドソンの改良と製作に費やしてきた。彼の繊細な仕事は、アートと呼ばれるにふさわしい。だが、彼の製作するバイクやパーツは大量生産品ではないし、おのずと高価になるから、万人向けとは言えないだろう。
ここでザックは、彼の通訳をしていたカウフマンを再び遮り、自ら英語でこう言った。「This is not profit, this is my passion.(金儲けが目的じゃない、これがぼくのパッションなんだ)」この発言に、すべてが集約されている。
――アラン・ガードラー
*注 英文のオリジナル原稿をサイクル・ワールド誌のため執筆するうち、ガードラー氏はサンダンスのストーリーに感銘し、「一冊の本にしたい!」といったほど内容豊富な記事になってしまったため、スーパーXRに関する記述だけでも所定の7ページに収まらず、次回にまわすほどだったとのこと。最終編集のまとめ段階では、他のスタッフが行ったため、ガードラー氏の原文と多少意味合いが異なってしまった部分があったようです。記載された本文に出来るだけ忠実に専門家に翻訳をお願いしました。しかし米国業界の他方面に対して不適切な文面として記載された部分は、本題のマシン評価やサンダンスの姿勢などの本質とは関係ない部分であったため、本人の承諾を得て削除いたしました。更にはささいな間違えでありましたが、サンダンス発足時のプロセスとレースでアメリカ進出のエピソードが混濁している文面も、事実とは異なり本題とは関係ないため同氏承諾を得て修正いたしました。
筆者:Allan Girdler(アラン・ガードラー)
ハーレー界の「生き字引」と称される文筆家。
サイクルワールドの編集者を経て、多くの著作を手がける。“Illustrated Harley-Davidson Buyer's Guide”や“Harley Racers”、自らもXR750を駆り、著した“Harley-Davidson XR750”は有名。歯に衣噛ませぬ直言や豊かな文章表現力と技術力に定評がある。 |
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